石碑の傷も震災を伝える遺構です
東京都内のチリ大使公邸を2月上旬、宮城県南三陸町の佐藤仁町長が訪ねました。直前にヘリコプター事故で死去した同国のセバスティアン・ピニェラ前大統領の弔問のためです。
「東日本大震災で町まで来てくれた方です。がれきの上にマイクを立て、町民を励ましてくれました」
震災を経験した小さな町の首長として、能登半島地震の被災自治体の復興の行方が気になります。
南米大陸の細長い国と東北・三陸地方の小さな町との縁は津波です。
1960年5月のチリ地震津波で、国内で最大の被害を受けたのが同町でした。地球の反対側の地震なので地面は揺れません。静かに湾の水が引き、奥から津波が襲ってきました。41人が犠牲になりました。
そこから復興を共に歩んだ証しとして1990年から町と国が友好を深め、翌年にチリ人彫刻家が制作したモアイ像が湾そばに設置されました。町のHPが経緯を解説します。
その像は11年前の津波で壊れました。それを知った前大統領が震災1年後に町を訪れて宣言しました。
「被災した像よりもっと壮大でもっと美しい像を贈りたい」
そうして新たに贈られた2代目と、がれきの下で発見された初代が昨夏、復興事業で整備された湾そばの公園に並びました。
初代の像とともに設置されていた記念碑も並びます。ただ、どちらも傷だらけ。震災の津波でついたまま、あえて修復していません。
傷もまた、教訓を後世に伝える遺構なのです。
朝日新聞気仙沼支局長 山浦 正敬