いつまでも「災間」が続いてほしい
7年ぶりに「3・11」を東北地方で迎えます。
主に三陸地方の太平洋沿岸が大津波に襲われた東日本大震災から13年です。直後は被害と復興への動きを岩手県内で追いました。転勤で被災地を離れたのが7年前の春でした。
久々に被災地に戻って感じます。防潮堤などの防災は着実に進みました。もちろん、今も行方不明の家族を捜す人、立ち直れない人がいるのは確かです。原発事故の被災地はなおさらです。それでも暮らしの復興は進んでいます。
今の時代を「災間(さいかん)」と呼ぶ人らがいます。「災害の後」ではなく、次に起こりうる災害に備えるために社会全体を見直す期間だと社会学者が提唱したそうです。朝日新聞も震災企画のタイトルに使っています。
ただ、現実は待ってくれません。元日の能登半島地震で、3・11以来の大津波警報が出て、実際に沿岸が津波に襲われました。家の倒壊や土砂災害などで多くの命が失われ、災害関連死も防げませんでした。
熊本や北海道の地震や中国地方などの豪雨でも、多くの犠牲が繰り返されました。たびたび「災後(さいご)」に引き戻されてしまいます。
それでも積み重ねていきたいのは未来への教訓です。心強いのは、若い世代の語り部活動です。
かつて勤務した岩手県釡石市では小学生が、昨春に赴任した宮城県気仙沼市では中高生が、いずれも自主的に教訓を伝えようと人前で語り始めています。
そんな姿を見ると切に願います。
「永遠に『災間』が続いてほしい」
朝日新聞気仙沼支局長 山浦 正敬