寝ても覚めてもすぽーっ!(フェアプレーの「物語」)

フェアプレーの「物語」

フェアプレーという言葉でどんな場面を連想しますか。私が思い出す一つは1984年ロサンゼルス五輪の柔道無差別級決勝です。2回戦で右足を痛めた山下泰裕が優勝しました。

決勝で相手のモハメド・ラシュワン(エジプト)はケガを知りながら山下の右足を攻めずに敗れ、表彰台にあがる山下に手を差し伸べて支えた姿が、この年の国際フェアプレー賞(ユネスコ)に選ばれました。

しかし、その後、波紋が広がりました。例えば「ラシュワンは左足を攻める前に(フェイントで)右足を狙った」。あるいは「試合で相手の弱点をつくのは当たり前のこと。ケガとはいえ、狙うのはアンフェアなのか」。フェアの定義を深く考えさせられました。

古い話が思い浮かんだのは、3月の名古屋ウィメンズマラソンでした。10㌔過ぎ、加世田梨花選手は鈴木亜由子選手が続けて給水を取り損ねると、すかさず自分のボトルを差し出しました。ともにパリ五輪を狙うライバルへの行為に、心がほっこりとしました。どちらか出場権を獲得していれば、さらに華々しくとりあげられたでしょう。

一般的には「正々堂々たるふるまい」「公明正大な行為や態度」がフェアプレーでしょうが、実際の行為にあてはめるのは容易ではなく、その評価も基準があるわけではありません。悩ましい限りです。

加世田選手に感じたのは見ず知らずの相手にも同じようにしただろう、と思わせるさりげなさでした。美談を一人歩きさせないよう自戒しつつ、今回は文章に残したいと思いました。

朝日新聞論説委員 西山良太郎