寝ても覚めてもすぽーっ!(手の骨が折れてもMVP)

手の骨が折れてもMVP

顔面の正面衝突で鼻筋が曲がったり、スクラムで耳がつぶれ、ギョーザ状に内出血したり。突き指で靱帯(じんたい)が伸び、まっすぐには戻らないことも――。ラグビーは痛手を負いながら、試合終了までプレーを続けてしまう例は珍しくありません。けれど、これは想像を超えていました。

今季のリーグワンで2年連続MVPのリッチー・モウンガ選手(BL東京)は、6月のプレーオフ決勝で攻守の要、スタンドオフとして出場。試合後に黒いサポーターを外すと、右手は分厚く腫れ上がっていました。実は1週間前の準決勝で骨折していたそうです。

しかし、試合ではけがをみじんも感じさせませんでした。片手パスや鋭角なステップ、守備ラインの裏に落とす精緻(せいち)なキック。加えて、身長で20㌢は大きく、体重でも30㌔は重い相手の巨漢選手をはじき飛ばす猛タックルと、縦横無尽の働きでした。

強調したいのは、彼がけがを押して出場したことではありません。

過去にも手の骨折を何度か経験し、プレーは可能だと知っていたそうです。なぜか。右手の負担を軽くするパスやタックルでの体の使い方など、けがを補う多様な方法を熟知しているからでしょう。そうしたプレーの引き出しが、ニュージーランド代表に選ばれ、世界有数の司令塔となった原動力だと思います。

リーグワンは近年、待遇や社会環境の良さもあり、海外から好選手が集結しています。これがどれほど若い選手を刺激することか。国内のラグビーは、今が学びの季節かもしれません。から一転。けがや摂食障害などが重なり、スパイクを脱ぐまでに追い込まれました。まだ23歳でした。

そこから立ち直ったのは目的を腑ふ分けし、整理する能力でしょうか。結婚と大学進学、出産を経て、引退から3年後には7人制ラグビーへの転向で競技生活を再開。日本代表の練習生にも選ばれました。

さらに2年後、東京五輪が迫ると陸上に復帰。日本記録を更新し、五輪では日本選手として100㍍障害では21年ぶりとなる準決勝進出を果たしました。

競技場以外にも、忘れ難い姿があります。女性蔑視につながる発言をした森喜朗五輪組織委会長に対し、寺田選手は「多様性を大切にしている現代社会においては残念」と批判。国内で関係者の多くが沈黙した中で、断固とした言葉が広く共感を集めました。

35歳で迎えた今季は、シーズン終了で一線を退くと表明しました。「引退」の言葉を使わないのは、来年以降も、子どもたちと本気で一緒に走る機会を創出していくためだそうです。

1年後、あるいは3年後にどんな自分でありたいのか。自己と対話しながらスポーツの分野を縦横に駆け巡る。誰もまねできない足跡がそこに残るはずです。

朝日新聞論説委員 西山良太郎