寝ても覚めてもすぽーっ!(スポーツの平和主義)

スポーツの平和主義

意外だと思う人もいるでしょう。国際オリンピック委員会に加盟するすべての国と地域が初めて顔をそろえたのは、近代五輪が100周年を迎えた1996年アトランタ大会でした。

「平和の祭典」は戦争やボイコット、政治に翻弄(ほんろう)され、どこかが欠けていたのがその歴史でした。
アトランタ大会では米国と国交を断絶した北朝鮮が焦点でした。仲介に立ったのはアトランタ在住の元大統領、カーター氏。再選に敗れた後、民間外交で築いた窓口を最大限に使い、参加を実現させました。

なぜカーター氏なのか。

80年モスクワ大会は、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した日本を含む西側諸国がボイコット。呼びかけたのが当時大統領のカーター氏でした。4年後は東側諸国がロス大会をボイコット。不毛な応酬に五輪は大きく傷つきました。
全加盟国参加にこぎつけた元大統領は「(ボイコットの)決定は非常に困難だった。いま五輪運動は強固になる一方だ」。当時のアトランタ支局からの問い合わせに回答した元大統領の書面を覚えています。16年たっても消えない苦さを、行間に感じました。

ロシアのウクライナ侵略は北京冬季パラリンピックの開幕前、五輪休戦中に始まりました。多様性と共生というパラ大会の理念は踏みにじられました。

分断されてはならない。

変化はスポーツから始まる――。国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が開会式で訴えた言葉が耳の奥に残ります。何ができるのか。スポーツ界も問われているのだと思います。

朝日新聞論説委員 西山良太郎