寝ても覚めてもすぽーっ!(指導者の海外進出こそ)

指導者の海外進出こそ

よい指導者とは何か。理想像を考える時に浮かぶ中の一人がサッカー元日本代表監督のイビチャ・オシムさんでした。2006年の就任会見で「代表のサッカーを日本化する」と宣言したことを覚えています。

「平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。受け身過ぎる。もっと批判に強くならなければ」(『オシムの言葉』)と日本人を喝破。歴史や社会環境に分け入り、繊細な言葉選びと機知に富む言い回しで求めたのは、欧州や南米の列強の後追いを繰り返す発想からの転換と、特性を生かしたスタイルの創造でした。

盛夏を前に80歳で亡くなった元監督は「監督」ではなく、選手に考えさせ導く「サッカー教師」と呼ばれるのを好んだそうです。

他にも外国人指導者は大活躍です。昨年の東京五輪では男女のバスケット、ハンドボールをはじめ多くの競技で牽引(けんいん)役でした。いまや頼らない競技は少数派かもしれません。

彼らの知恵と手腕で国内選手の能力を引き出す「和魂洋才」は、グローバル化のなかでは自然な流れですが、日本人指導者の海外進出はどうでしょうか。

近年では水泳・アーティスティックの井村雅代さんが中国に招かれ、北京、ロンドンの両五輪でメダルをもたらしましたが、成功例はごく一部です。

言葉や国の壁を越えて活躍できる全人格的な指導者はどうすれば育つのか。海外指導者の隆盛が映すテーマは根源的です。スポーツと教育が一体となった運動部活動を土台にした国内の環境を、一度総括する必要がありそうです。

朝日新聞論説委員 西山良太郎