現場一期一会(生死を伝える重みこそ記者の原点)

生死を伝える重みこそ記者の原点

報道の世界で、人の生死は最も重い情報です。

7月に安倍晋三元首相が参院選の遊説中に手製の銃で撃たれた事件では、SNSやインターネットニュースで「死亡」がいち早く流れました。医師による確認や公式発表の時刻より前だったため、一部で議論を呼びました。

日々のニュースでも、事故や災害の犠牲者が報道されます。通常は警察などの公式な発表を待ちます。公式確認前に判断して報道しないのが記者の基本です。

ただし、要人など社会的に注目される人物の場合、公式発表前でも速報することがあります。もちろん誤報は許されません。

2002年9月でした。私自身が生死の判断で追い詰められました。

北朝鮮を電撃訪問した当時の小泉純一郎首相に、北朝鮮が複数の日本人を拉致したことを認めたのです。それぞれの被害者の生死についても説明しました。北朝鮮の突然の「自白」に日本中が驚きました。飛び交う情報も錯綜(さくそう)しました。

ある被害女性が「生存」との情報が飛び込んできました。ただどうしても裏がとれません。拉致疑惑として長く捜査してきた警察の幹部も「そんな情報はない」と否定します。そのまま安否を伝えられないまま、夕刊の締め切りが過ぎてしまいました。

まもなく確認できた北朝鮮の説明は「死亡」でした。でも、その説明すら事実かどうかを確認できないままもう20年が経ちました。翻弄(ほんろう)され続ける拉致被害者の家族らの心情を思うと、本当にいたたまれません。

朝日新聞さいたま総局長 山浦 正敬