寝ても覚めてもすぽーっ!(「自分たちらしさ」から脱皮せよ)

「自分たちらしさ」から脱皮せよ

冬から春にかけて、高校スポーツは対人形式によるチーム競技の全国大会が続きます。サッカーやラグビー、バスケット、バレー、野球といった具合です。

その取材現場では、決まって聞く言葉があります。「自分たちの○○ができなかった」というフレーズ。○○はもっぱら競技名でしょうか。敗戦への後悔と反省が入り交じり、時には涙と一体となって連日飛び交います。聞く側も共感することが少なくないけれど、やはり気になります。

タイムを競う陸上や水泳などの個人競技なら、そんな表現に合う展開も珍しくないでしょう。対人競技は少し違う気がします。流れは双方を行き来し、こちらがつかめば相手は失う。たとえ下馬評が劣勢でも、相手の得意を封じれば番狂わせも生まれるからです。それが醍だ い ご醐味でもあります。

自らに向き合い、特徴を把握することは、大前提です。けれど「自分らしさ」に固執するあまり、相手を冷静に見極める洞察を忘れれば勝機も遠のきます。

サッカーW杯カタール大会を取材した同僚記者は、優勝経験国のドイツ、スペインに逆転勝ちした日本代表をこう記していました。かつて繰り返された「自分たちのサッカー」という言葉が選手の口からでてくることはなくなった、と。

海外組が中心となり合同の練習が限られる中で、必要なのは相手をみて状況に対応する力。そこに進化を見たという評価でした。

日本代表と高校生では求められるレベルが異なるけれど、今季はそんな視点から若い選手の成長を考えてみたいと思います。

朝日新聞論説委員 西山良太郎